最後の晩餐
シリア正教のエキュメニズム
―他教会とのエキュメニカルな関係と対話の現在―
   この章はSyriac Orthodox Resources Ecumenical...を訳したものです。

 

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 451年のカルケドン公会議は、シリア正教会及びコプト正教会と、ビザンティン[ギリシア正教]及びローマ[・カトリック]のキリスト教徒との分裂を引き起こしてしまいました。シリア正教徒を含むオリエンタル正教徒は、論争術の上で単性論派という間違ったレッテルを貼られ、その結果他のキリスト教徒に異端と受け取られ、ビザンティン帝国において政治的な迫害を蒙ることとなりました。7世紀のイスラム教の出現とその増大する政治勢力は、シリア正教会にとっては逸脱したキリスト教集団と見えましたが、ビザンティン帝国の抑圧から逃れられる小休止の時代ともなりました。しかしながら、しばしの間シリア正教会が得た自由は、特にオスマン王朝によって奪われ、20世紀の変わり目には数千人もの大虐殺という結果になってしまいました。17世紀から、シリア正教会は西側の教会と反対方向の遭遇を経験することにもなりました。すなわちローマ・カトリック教会やプロテスタント教会は、シリア正教会の信徒を自分たちの影響下に囲い込もうとしたのです。

 何世紀もの孤立の後、20世紀後半に出現した世界教会主義(エキュメニズム)の精神によって、シリア正教会は姉妹教会との建設的な対話に従事することが可能となりました。近代のエキュメニカルな対話が始まったのはおよそ7世紀前のことです。エブロヨは次のように記しています。

「私がこの問題について熟慮した結果、異なるキリスト教会どうしのこうした口論は実体のあるものでは全くなく、単に用語の問題に過ぎないと確信するようになりました。というのも、彼ら全てはキリストが主であり、二つの性質の混合も融合もなしに、完璧な神であると共に完璧な人間であると告白しているからです。ゆえに、私は、全てのキリスト教共同体は、キリスト論的な立場の相違があるにも関わらず、何らの差異もない一つの共通前提を保持していると理解します(『鳩の書』第4章)」。

 この数十年の間、エキュメニカルな対話において特にローマ・カトリック教会と東方正教会との間で大きな進展がありました。シリア正教会は神学的対話だけでなく、教会間の結婚、イースターの日付を統一することなど、様々なトピックについて話し合う対話を積極的に開催し、また参加してきました。

 アンティオキア総主教のイグナティウス・ザッカー1世・イワスは、1995年5月16日に、ベルリンのフンボルト大学で次のようなスピーチを行いました。

「キリスト教会の分裂は、大きな過ち、聖霊の冒涜であり、キリストの存在を無視することです。キリストはこう言いました。『陰府の力もこれに対抗できない』(マタイ16:18)と。私は、私たちの分裂の理由を理解するために、皆さんにしばしの間歴史に目を向けて頂きたいと思います。皆さんは、何千人もの潔白な人が血を流したことをそこに見出すでしょう。義しい人々が苦しみ、自分の国から追放されたことを。私たちは、この世代のキリスト教会がキリスト教の対話を続けることの必要性を感じ始め、その結果として諸教会が互いに更に近づき、多くのテーマを研究するために様々なレベルで連続的な会合の計画を立てたことを神に感謝します。キリスト教の統一は、教会の頭であるキリストにおいて、またキリストを中心としてのみ生じるのです。 私たちの全ての教義なるものは、それぞれキリストの聖なる体の一部分に過ぎません。
  サタンは、まだ活動しています。彼は妨害をもたらし、新しい分裂を絶えず奨励し、そして教会そのものであるキリストの体の分裂を望むのです。私たちは、注意深くあらねばなりません。政治は、その世俗の目的を達成するためにいつも宗教を使います。私たちは、私たちの対話をスピリチュアルな主題に制限するべきです。なぜなら、キリストの王国は世俗世界ではないからです。私たちは、統一されたキリスト教が他の宗教と争うことを望みません。その代りに、私たちは、統一が更に迅速に私たちの目的に到達することを望みます。その目的とは、神を信じる他の人々との建設的な対話、特に私たちが一つの故国を共有するイスラム教徒との対話です。歴史から学びましょう。私たちを分裂させるものを回避しましょう。相互のより良い理解へと導いてくれる道、愛と平和が統治する生命の世界への道を歩みましょう。」

 シリア正教会は1960年から世界教会協議会(WCC)のメンバーであり、中東教会協議会(MECC)の創設メンバーに名を連ねています。シリア正教会は、中東オリエンタル正教会共同常任委員会(コプト正教会とキリキアのアルメニア教会を含む)に積極的に参加しています。

■他の非カルケドン派教会との関係   
  アンティオキアのシリア正教会は、他のオリエンタル正教会(非カルケドン派教会とも呼ばれ、コプト教会、アルメニア教会、エチオピア教会が含まれます)と完全な協働関係にあります。1965年以来、アンティオキアの総主教とアレキサンドリアの教皇は、シリア正教会とコプト正教会の両方の聖名簿にその名が記載されることになりました。シリア正教会は、コプト教会とアルメニア教会との共同聖典礼を順番に開催し、また参加しています。

■東方アッシリア教会との関係  
  東方アッシリア教会との対話は、他の教会との対話に比べると最近のことです。1994年、1996年の2月(ウィーン)、1997年7月(シカゴ)にプロ・オリエンテ財団の後援で開催されたシリアの伝統を担った教会どうしの「シリア対話」は、シリア正教会と東方アッシリア教会との神学的対話の道を拓いてくれました。1997 年の会合で、イグナティウス・ザッカー1世総主教とディンカ4世総主教は、「双方の教会の友好回復をもたらす道を話し合う共同委員会を創設することに同意」しました。 さらにディンカ4世総主教の発表によれば、先月開催された東方アッシリア教会の主教会議で、アレキサンドリアのキリルやアンティオキアのセヴェルスのような人物に対する破門と非難の文章を彼らの典礼から削除すること、そしてシリア正教会との完全な交流を達成するための相互プログラムを正式に開始することが決定されました。1998年3月2日に、二人の総主教はレバノンの聖マロン修道院で会合を開き、二つの教会の間の対話をさらに進めました。しかしながら、さらなる対話は難しい状況となりました。その後にコプト正教会のシノーダ教皇が召集して開催されたオリエンタル正教会の会合で、全てのオリエンタル正教会は神学的対話の推進を共同で進めるべきであり、直接的対話は進めるべきでないと決定されたからです。

■東方(カルケドン派)正教会との関係  
  様々なキリスト教会の中でも、東方正教会は、精神的にも、教義の上でも、歴史的経験の上でも最もオリエンタル正教会に近い位置にあります。この家族教会との対話は、最も成果が豊かとなる可能性を持っています。非公式の会合が1964年にアールス(デンマーク)で、そして1967年にブリストル(イギリス)で開催され、双方から神学者たちが参加しました。また、1970年にジュネーブで、また1971年にアッディス・アッババでさらなる会合が開催されました。結果は、思っていた以上にポジティブなものでした。ディオクレアのティモシー・カリストス・ウェア主教が自著、『正教会』(1993年)で述べているように、歴史的に分裂へと導いた基本的な問題─すなわちキリストのペルソナに関する教義─に関して、実のところ何ら本質的な意見の相違は存在しないということが明らかになったのです。相違は、アールスで表明されたように、語法レベルにのみあったに過ぎなかったのです。その会議の代表者たちはこう結論しました。「私たちは互いの中にたった一つの正教会信仰を見出します・・・。キリスト論的教義の本質について、私たちは、完全に同意することができるのです。」ブリストル会合の文書の中では、次のように述べられています。「私たちの中には、一人の主イエス・キリストの中で二つの性質が本質的に結合されていると認識する人もいれば、神性-人性からなる一つの結合された性質・意思・エネルギーが一人のキリストの中にあると認識する人もいます。しかしいずれの側も、融合なく、変化もなく、分割もなく、分離もない一つの結合を主張しているのです。」この4つの副詞が私たちの共通の伝統に属しています。いずれの側も、それぞれのあらゆる自然の性質や能力を失うことなく、一人のキリストの中で、神性と人性がダイナミックに永続していると主張しているのです。

 1964年から1971年の間の4回の非公式の対話を経て、両方の家族教会が参加する公式な共同委員会が開催されました。この委員会は1985年にジュネーブで、1989年にエジプトのアンバ・ビショイ修道院で、1990年にジュネーブで開催され、そして1993年にもジュネーブで4回目が開催されました。一つもしくは二つの「性質」に言及する際に双方にそれぞれ自分の好む言い方があるとしても、過去において障害物となっていた異なるキリスト論的公理に関して、受肉についての解釈の本質は全く同じであるという合意がなされました。非公式の会合で達成された教義上の合意は再び確認され、1990年の第三回会合の終わりには、過去において相手に対して発した全ての破門や非難を今や取り消すべき時だと勧告されました。第4会会合(1993年)ではいかにして実際にこのことを実行すべきかを話し合い、次のような共同提案の作成に至りました。破門と非難は、「それぞれの側の全教会の指導者が満場一致にして同時に、適切な教会法への署名をするという形で撤回されるべきである。その内容には、それぞれの側で、相手はあらゆる意味で正教であるという表明が含まれることになるだろう。」参加者の意見によると、いったん破門が解除されたならば、これは「双方において完全なる交わりの回復が即座に実行されるべきことを意味します」(Brock et al , 2001)。

 困難は、それでもまだ残っています。というのは、双方の側の全ての人が等しく対話を快く思っているとは限らないからです。例えばギリシア正教の中にはオリエンタル正教を今でも「単性論の異端」とみなす人もいますし、非カルケドン派の中にもカルケドン派とレオの書物を「ネストリウス派」とみなす人がいるからです。しかし、双方の家族教会の公式の見解は、1989年の会合で明確に表明されました。
「長きに渡ってそれぞれ互いから離れてしまっていた二つの家族正教会である私たちは、分離前の1世紀の教会の使徒信仰の基盤に立ち、私たちが共通して持っている信条の中で告白しているあの交わりを回復できるよう、今、神に祈り、神を信頼します。(Ware, 1993)」

  二つの家族教会をさらに親密にすべく、他にも会合が開催されてきました。1991年に双方の青年運動の間で、また1987年と1991年には中東の様々な総主教の間で(この2度目の会合では「二つの教会の親密な友情を具体的にする」ことが目的とされました)。1991年7月22日の第2回会合の結果、イグナティウス・ザッカー1世総主教とイグナティウス4世・ハッシム総主教との間で、一連の重要な決定が声明の中で公表されることとなりました(Brock et al, 2001)。

■ローマ・カトリック教会との関係 
  シリア正教会とローマ・カトリック教会との対話は、プロ・オリエンテ財団(1964年にウィーン大主教のカーディナル・ケニヒによって創立された、ウィーンのエキュメニカルな財団)の後援で始まりました。プロ・オリエンテ財団はウィーンにおいて、1971年、1976年、1988年にシリア正教及びローマ・カトリックの神学者たちと、非公式の会合を開始しました。1994年に、プロ・オリエンテ財団は、レバノンでの会合で、シリアの伝統を持つ8つの教会(3つの帰一教会を含む)間の対話のために、シリア委員会を設立しました。3回のシリア会合が、1994年と1996年にウィーンで、1997年にシカゴで開催されました。

 特にキリスト論的教義に重点を置くプロ・オリエンテ財団会合は、現在「ウィーンキリスト論的公理」として知られているものを生み出し、教会の首長どうしのその後の共同のキリスト論的合意への道を拓きました。総主教イグナティウス・ヤコブ3世と教皇パウロ6世の統治下に行われた最初の会合により、ヤコブ3世総主教とパウロ6世教皇によって署名された共同声明が、1971年10月27日にバチカンで発表されました。この対話は、イグナティウス・ザッカー1世・イワス総主教とローマ教皇ヨハネ・パウロ2世によって継続され、1984年6月23日のローマでの共同声明においてその最高点に達しました。1993年11月、カトリック教会とマランカラ・シリア正教会との共同神学委員会は、現在「ケララ合意」と呼ばれている教会間結婚に関する合意文書を起草しました。これはローマ教皇ヨハネ・パウロ2世とザッカー1世総主教によって認められ、1994年1月25日に発効しました。

■英国聖公会との関係  
  シリア正教会と英国聖公会は中東とマランカラにおいて、過去2世紀以上に渡って長い関係がありました。19世紀の初頭、キリスト教宣教協会は古代コミュニティを解放するという建て前で宣教団を設立しました。シリア正教会と英国聖公会との関係は様々な理由で緊張をはらむものとなり、結局はシリア正教徒の中に英国聖公会や他のプロテスタント宗派を生み出す結果となりました。2002 年11月に、英国聖公会はオリエンタル正教会との間でキリスト論に関する合意に達しました。両方の教会は、「一人のキリスト、一人の子、一人の主」のみが存在し、「言の受肉における神性と人性の完璧な結合は、人類の救済に不可欠である」と告白することを表明しました。(ジェフリー・ローウェル正師によるレポートを参照下さい。)

 

参考文献:
Brock, Sebastian and David G.K.Taylor (ed.s), The Hidden Pearl: The Syrian Orthodox Church and Its Aramaic Heritage.(Rome: Trans World Film Italia, 2001).
Chediath, Geevarghese, "Syriac Churches in Dialogue," The Harp, vol.XI-XII (1998-99).
Madey, John, "The Ecclesiological and Canonical Background of the So-Called Kerala Agreement", The Harp, vol.XI-XII (1998-99).
Paul, Daniel Babu, The Quest for Unity. (Damascus: Syrian Orthodox Patriarchate, 1985).
Ware, Timothy (Bishop Kallistos of Diokleia), The Orthodox Church.(London: Penguin Books, 1993).
Wensinck, A.J.Bar Hebraeus's Book of the Dove. (Leyden: Brill, 1919).


(英語原文はこちら:http://sor.cua.edu/Ecumenism/index.html


   
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