西安の碑(781年)に刻まれたシリア語と中国語. Resource;The hidden pearl
シリアキリスト教の伝播 ―中央アジアを横断し中国へ―
   この章はTHE HIDDEN PEARLからの抜粋訳です。

 

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インドのシリアキリスト教
 シリア語を話すキリスト教は大変早い時期に南インドのケララ(古い著書はしばしばマルバラ湾としています)にたどり着きました。偽典言行録に収録された伝承と地方の歌によれば、キリスト教は紀元後52年に使徒トーマスによりここに初めて伝えられ、彼は殉教するまで多くの現地人を改宗しました。これは聞いた印象ほどありえない話ではありません。ケララとタミル・ナドゥからローマ居住地跡とともに発見された、ネロの治世を記したローマ貨幣の備蓄が示すように、この時期ローマ人とインド人の間の貿易は活況でした。モンスーンの風は湾岸からケララまで直接3ヶ月もかからずに船で旅することを可能とし、その費用はそこで手に入る真珠と香料から得られる富で有り余りました。欧州の学者はしばしばトーマスの伝承の評価に大変懐疑的で、その歴史的な価値をまったく否定するかトーマスは実際にはさらに北のパンジャブ地方で活動したものとするにとどめました。近年になってその学術的な見解はやや積極的になり始めましたが、しかしいずれにしろ遅くとも2世紀か3世紀までにはケララに相当のキリスト教徒共同体が創設されていました。3世紀末彼らはダビデという名のバスラ主教に訪問されたとの報告があり、またエデッサのヨセフという人がそこの主教となるよう345年にペルシャカソリコスから送られています。ペルシャから司祭を派遣された南インドとセイロン双方における教会の存在は、アレキサンドリアの商人コスマス・インディコプレウステスによって535年に書かれた彼の旅行記(「インド洋の航海士」)によってさらに確認されます。
 しかし、インド教会の繁栄の大きな波は、8世紀半ば、カナのトーマスに率いられたペルシャ人移民の一団の到着と、その40年後の二人のペルシャ人主教に率いられたさらに大きな一団の到着によってもたらされました。地元ヒンドゥーの統治者は彼らの国際関係ゆえにこの新しい商人たちを歓迎したらしく、社会的にも財産的にも彼らにさまざまな権利と特権とを与えました。このことはそのいくつかは今も現存する銅版に記録されています。その後のインド教会についての文献は散在的でほとんど詳述されていませんが、主教はまだペルシャから送られており、キリスト教徒人口は地元の高位カーストヒンドゥー教徒との婚姻を通して結びつき繁栄したようです。1504年までに200,000人1400教会を数えたといわれています。その結果、ケララのキリスト教徒は神学および儀礼慣行においてはペルシャ教会のそれ(従ってシリア語でかかれたもの)でありながら、彼らの自己認識と文化はまさしくインド人ということになりました。
 14世紀以降より欧州旅行者との接触が商人でも司祭でも増大しましたが、インド教会の歴史に新しい章を開いたのは1498年のバスコダガマの到着でした。ポルトガル人は貿易を拡大し、イスラムや、多神教、キリスト教異端にどんな手段を持ってでも対抗するため、彼らの海外領土を加えることに熱心でしたので、ケララに相当数のキリスト教徒人口が発見されたことによるその可能性の増大は直ちに歓迎されました。数年のうちに兵と商人を載せた更なるポルトガル船が到着しましたが、本格的な宗教組織が始まったのは1514年以降のことです。1538年ゴアに初のラテン司教が、1542年にフランシス・クサビアーが到着しイエズス会がケララでの仕事を始めました(彼らの要望によって1560年ゴアに異端審問所が設立されました)。ポルトガル人はインドの教会をラテン化し、ペルシャの教会から引き離そうと試み、ついに1599年ディアンパー宗教会議に頂点を迎えます。これは、その適法性が怪しまれるものでしたが、教義上の問題にも宗教的・社会的慣習の多分野においてもラテントレント公会議の全厳格性を教会に課すものでした。これはまた、すべての教会古記録と蔵書との不当な破壊をもたらし、ポルトガル人来訪以前のインドの教会の歴史がわずかしか知られていない理由のひとつとなっています。ほとんどの教会はこれに黙従しましたが、続く数世紀にかなりの団体が脱退しペルシャ教会とのつながりを再構築するかシリア正教と新しいつながりを交わしました。今日、その中東とヨーロッパのほとんどの姉妹教会と異なり、ケララではさまざまな教会が活気にあふれ、学問が栄え、生き生きとし、神学校と教会は満ち溢れていますが、イスラムの挑戦とモンゴルによる征服の恐怖を生き延びた東方教会のひとつが、欧州の干渉を通してついに寸断されてしまったことは惜しまれてなりません。

(英語原文はこちら:THE HIDDEN PEARL VolumeU,p192-193)

   
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